1911?ファルマン飛行機の初飛行は?!


ボランティアライターの“ぶん”です。

2月初め「ところ学」で野外講座があり、「所沢航空記念公園」についていろいろ学ぶことができた。

所沢航空記念公園は「航空発祥の地」と呼ばれています。わが国で初めて飛行場が開設されたことによるものですが、なぜ、所沢が「航空発祥の地」として生まれたのでしょうか?

文献をいろいろ読んでみると、当時の新聞記事や所沢住民の日記が書かれてあり、また「臨時軍用気球研究会」に尽力につくされた方がいて、その後の日本の飛行機の発展がありました。

明治36年ライト兄弟による飛行機の初飛行、明治42年フランスにおける国際飛行大会等、欧米で航空機への発展が続き、日本においても航空機の研究と製作を早急に行うべきと、海軍、陸軍から意見書や報告書が提出された。

こうして研究機関として具体化されたのが「臨時軍用気球研究会」である。

今から109年前の明治42年(1909)7月31日、勅令第207号(明治天皇の命令)を陸海軍大臣の監督下に設置されたもので、正式名称は「臨時軍用気球研究会」。

研究会の目的を遊動気球と飛行機に関する設計試験、操縦法、諸設備、通信法の研究と定められた。

 

【なぜ、所沢が選ばれたのでしょうか?】
気球研究会は、試験場候補地を検討し、
・栃木県宇都宮市、太田原町(太田原市)
・千葉県志津下志津(佐倉市)
・神奈川県相模
・埼玉県所沢町・松井村
などが候補地にあがったが、落雷の危険や地形にきふくの少なく、首都に近いことで、所沢町・松井村にまたがる地域が決定された。

開設当初は飛行機格納庫・気象測定所・軽油所・滑走路であった。
滑走路は幅50メートル、長さ400メートルの国最初の飛行場が誕生しました。
ジャガイモ畑だったので、徹底的地固めが行われ、川砂や粘土を敷き詰めローラーで固められたそうです!

 

【飛行機の購入と飛行機学校】
「臨時軍用気球研究会」は明治43年4月11日、徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉二人は新橋駅を出発し、シベリア鉄道経由でヨーロッパへ出かけ、徳川好敏はフランスへ、日野熊蔵をドイツに、「飛行操作術の取得」、「飛行機の購入」を目的に派遣された。

徳川好敏はフランスのパリ郊外エタンプのファルマン飛行機学校へ入学する。一方日野熊蔵は、ドイツのベルリン郊外ヨハネタール単葉機の操作訓練を受ける。
徳川好敏はフランスから「アンリ・ファルマン」、「ハンス・グラーデ」2機を購入、日野熊蔵もドイツから「ブレリオ」、「ライト」の2機を購入し、帰国する。

ファルマン機(徳川好敏がフランスから購入して持ち帰ったもの。「H.FARMAN」と書かれてある)
航空機のテクノロジーより転載


日本で初めて取った飛行機操縦免許証(航空機のテクノロジーより転載)

 

【所沢飛行場と初飛行!】
『所沢飛行場歴史』によれば明治44年(1911)4月5日、所沢飛行場が公式に開設されたとある。
しかし、予定では4日が初飛行の日であったが、強風のため中止となり、5日となった。

飛行演習は4月5日から9日まで5日間行われた。
4月5日の初飛行は徳川大尉の乗る「アンリー・ファルマン機」が午前5時37分に飛場し、高度約10メートル、距離800メートル、1分20秒で飛行したのが最初です。
(徳川大尉の乗るファルマン機の飛行時間、飛行距離は資料によって違いがあります。)

次いでライト機で日野熊蔵大尉が6時20分に飛行し約50メートルの高さまで上昇し、飛行距離4000メートル、飛行時間3分30秒で成功をおさめた。日野大尉は2回目の飛行を試み、高度120メートル、飛行距離17キロ500メートル、飛行時間18分余り。
8日には徳川大尉が飛行時間31分、飛行距離30キロメートル、という新記録をだした。以後9日まで飛行実験が続いた。
第2の飛行機演習が6月6日から10日まで間に行われ、所沢を離れる野外飛行が実施されている。

案内板は所沢航空記念公園内の滑走路があった場所に設置してあります。

 

【所沢住民の飛行観覧はどうだった?】
飛行演習は4月4日に初飛行の予定であった。この一大行事に対して所沢町民は?

所沢町民1300戸と松井村民500戸には飛行場所特別観覧所が設けられた。観覧入場券を役場で作って、5人以下の家庭には1枚、5人以上には2枚、12人以上には3枚の割合で配布した。
しかし、調査が面倒なので各町に各戸1枚として入場券が配られた。

ところが陸軍からは飛行時間の連絡はなかったようで「北田斧吉氏の日記」や「緒星新助氏の日記」によれば、いずれも初日の飛行を見ていない。
世話人の午前7時に飛行場に行ったが、すでに終了していた。
「北田氏の日記」には「飛行を見たのはやっと9日になってからで、4時に奥さんが起床、自分は5時に起床、6時に出発のつもりで朝食をとっていたら爆音がしたので、あわてて飛行場へ駆けつけて間に合った」。と!

この時期は4月ということで、町の大商店などは周辺に高座敷を設置し得意客を招待し、桜の下での花見の酒宴をしたようである。

当時の所沢飛行場(日本の空のパイオニアたちより転載)

是非、「所沢航空記念公園」に遊びに行ったさい、滑走路を見学してくださいね。

参考文献 所沢市史 ・ 日本の空のパイオニアたち・ 航空機のテクノロジー ・所沢航空公園資料



記事の執筆者プロフィール

ぶん Bun
ぶん Bun ライター
2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

頂いた応援メッセージ

  1. 「ぶん」さん、レポート楽しく読ませていただきました。よく関係文献を精査してまとめられましたね!
    特に、住民の飛行観覧については、当時、陸軍省のお役人が地域住民などの心情には無頓着で、サービス精神など、微塵も感じないこと分かります。そうした中で住民が観覧したい心理と、飛行時間が不明などから「あたふた」した様子がよく伝わってきました。
     この飛行場開設に伴い、近くの鉄道「飛行場前駅」(後に「御幸町駅」)から工事中の飛行場を見学する人々の動きなどがネットにも載っていて、これらと併せて考えますと、日本初の大事業であったかがよく見てとれます。ありがとうございました。以上「悦ちゃん」

  2. 悦様 応援メッセージありがとうございました。
    「ところ学」で所沢航空記念公園についで学び、所沢に住み慣れていますが、知らないことばかりでした。改めて文献を読み、所沢にとっては今から109年前の明治42年は発展への一歩でもあったようにも思えました。

    はい、私も当時の住民の飛行観覧についてはすごく興味をもって読みました。今の時代では考えられないことですね。もし、今、行政が住民に連絡していなければ、ニュースにもなり、SNS等で苦情が炎上するでしょうね。
     
    今後とも「所沢なび」をよろしくお願いいたします。“ぶん”

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