西武新宿線のヒストリー!


「所沢なび」ボランティアライター“ぶん”です。

今回はおなじみの「西武新宿線」を取り上げてみました。

私たちが利用している「西武新宿線」はかっては「川越鉄道」と呼ばれていました。所沢に初めて鉄道が敷設されたのは、今から124年前、1895年(明治28年)3月21日のことです。


西武新宿線と西武池袋線が交差する所沢駅近くの陸橋。

 

【川越鉄道の設立と所沢町】

「甲武鉄道」(現JR中央線)、新宿~八王子間へ路線延長に期待を寄せ、1887年(明治20)1月6日に入間郡所沢町の住人たちは「停車橋敷地寄付願」を埼玉県知事の吉田清英に提出した。しかし、甲武鉄道の所沢町~川越町への路線延長は実現をみなかった。

甲武鉄道の路線延長計画が中止になったのち、1890年(明治23)12月、埼玉県高麗群柏原村(現狭山市柏原)の名望家曽田忠順ほか38名の設立発起人によって、その中には所沢町から向山小平次や斉藤与惣次ら9名の参加によって「川越鉄道布設仮免状願」が内務大臣、西郷従道に提出された。

内務大臣、西郷従道に提出された「川越鉄道布設仮免状願」によれば、「武蔵国の入間、高麗、比企、秩父群や神奈川県多摩郡は、古くから蚕糸業、織物業、製茶業など盛んで東京へ運搬も多く、物資の供給源となっている。交通が不便で、商売上のよい機会をのがしている。このような状況、発展はおぼつかない。鉄道敷設について実現方、免許して欲しい」。

1891年(明治24)4月に川越鉄道は「仮免状」が下付され、8月に会社が設立されて、所沢町391(求友館)にて仮事務所が置かれ、資本金25万5000円の会社として進められた。


▲川越鉄道の創立事務所として使用された「川越鉄道株式會社」の看板(齊藤武司氏所蔵)


▲川越鉄道の創立事務所として使用された求友館の絵 現在の元町東公民館(齊藤武司氏所蔵)

 

【川越鉄道への参画に消極的だった川越商人】

川越鉄道と呼びながら川越町からは一人も発起人に参加していなかった。これは新河岸川の舟運(しゅううん)は、江戸に出荷される物資が集荷し、新河岸川舟運で運ばれていたので栄えた。川越鉄道が敷設されると、川越町の商業活動は停滞すると考えていた説や川越商人資本が大宮側への鉄道の接続を優先していたため参画しなかった、とする説がある。

1891年(明治24年)5月8日、設立準備委員の一人所沢在住の斉藤与惣次宛に川越鉄道会社創立事務所などから出された書簡が残されている。その書簡は、川越町では同封したような「広告」を報知新聞に掲載したのでお知らせします、という内容であった。
その内容を要約すると「川越~国分寺間の川越鉄道会社という名称を用いているところから、わが川越町民もこの計画に加わっているように思われ、本町がこの件に関係ないことを諸氏に告げる」とのことだそう。


▲川越鉄道会社創立事務所などから出された書簡(齊藤武司氏所蔵)

 

【川越鉄道の開業の日】

1892年(明治25年)6月に敷設の本免許を受け、この年から測量調査が開始され、明治26年から工事が始まるが、周辺の住民からいくつかの反対の運動が発生した。
多摩郡では植樹の補償をめぐって、入間川(現狭山市)では架橋の問題や松井村下安松では踏切用地をめぐって、また、吾妻村久米では、建設予定の柳瀬川架橋の位置や長さについて反対運動が起こった。

こうしたいくつもの住民からの反対の運動に直面しながらも、川越鉄道は1894年(明治27年)12月には国分寺~久米川(現東村山)間(8.0キロメートル)が開通する。そして、翌年1895年(明治28年)3月に久米川~川越(21.7キロメートル)が開通し、所沢にはじめての駅ができた。
当時の路線は「国分寺」・「小川」・「所沢」・「入曽」・「入間川(現狭山市)」・「川越」間、6駅でした。


▲川越鉄道開通図屏風(齊藤武司氏所蔵)


▲川越鉄道開通図屏風(齊藤武司氏所蔵)

なお、川越鉄道は、1922年(大正11年)帝国電灯会社に吸収合弁され、さらに旧西武鉄道となり、1927年(昭和2年)に東村山~高田馬場間の営業が開始され、これが現在の「西武新宿線」になる。

 

【当時の時刻表と運賃】

当時の列車は1日5往復、「所沢駅」から「国分寺駅」に行く場合、始発は7時16分、最終電車は18時47分となっている。所要時間は22分。また、「所沢駅」から「川越駅」間の始発は8時38分、所要時間は39分。平均時速37キロ、最高時速50キロとゆっくりした列車だった。

運賃は、「上」、「中」、「下」の三等に区分され、所沢~国分寺間で「上」が24銭「中」は16銭「下」が8銭となっている。当時所沢駅乗降人員は1日当たり平均449人です。
2018年の所沢駅1日平均乗降人員は104,984人。


▲所澤停車場(野老澤町造商店 三上博史氏所蔵)

 

【開通当日のようすの新聞記事は!】

開通当日について新聞記事には(新編ところざわ史話より抜粋)
「(中省略)各駅には汽車の来るのを待ち受け、煙火を打ちあげ或茶菓を出し、「或」は酒又は弁当を出して来賓の乗客を持遇したり、又、この日あたかも彼岸の中日にて、ことに好天気なれば、沿道近在の村より老若男女物珍しげに見物に出かけ、各停車場は見物人の山を築き、汽車の着くする毎に川越鉄道万歳を呼びかけて喜び合へり」と。

124年前(明治28年)に使用された、ドイツ クラウス社製KI形1号機蒸気機関車の写真(齊藤武司氏所蔵)
明治27年ドイツ クラウス社製KI形は1号機2号機があり、1号機は多摩川線で使われ、昭和25年に廃車となる。2号機は大正7年に紡石鉄道に売却される。

文献「西武鉄道昭和の記憶」を読んでみると、なんと、当時のドイツ クラウス社製KI形2号機が保存されていることが分かった。
2号機は1918(大正7年)に紡石鉄道へ売却され、山口県防府市と佐波郡徳地町(現山口市)18.8㎞の間を走る鉄道路線となり、1964年(昭和39年) 6月30日に廃止となりました。KI形2号機はJR防府駅(山口県)の高架線付近の鉄道記念広場に公開展示保存されています。

124年前川越鉄道で使われていた蒸気機関車KI形2号機


▲ブログ「流浪オヤジの探検日記」様から写真提供。


▲ブログ「流浪オヤジの探検日記」様から写真提供。


▲蒸気機関車(野老澤町造商店 三上博史氏所蔵)

「川越鉄道開通図屏風」等は毎月開催される、野老澤町造商店 明治天皇行在所跡の見学会で見ることができます。今月は9月27日(金)です。
【お問合せ】
電話:文化財保護課04-2998-9253 又は 野老澤町造商店04-2928-1453
所沢市広報誌「ところざわ」に掲載されています。

参考文献、引用 所沢市史・ところざわ歴史物語・新編ところざわ史話・埼玉鉄道物語・川越文化
ものがたり ・ 日本鉄道会社の歴史・西武鉄道昭和の記録



記事の執筆者プロフィール

ぶん Bun
ぶん Bun ライター
2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

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