なぜ「所沢」という地名になったの?


「所沢なび」ボランティアライターの“ぶん”です。

 

「所沢」は、いつ頃、どの様ないきさつで、「所沢」という地名になったのでしょう?
色んな見方があって「これです」とははっきり分かっていないようです。

 

「所沢市史地誌」の中に「地名のつけ方」が書かれてあった。

1.客観的地名=旅人やその他、通りすがりの付けて行く地名はよほど特徴があり、適切なものでないと残らない。

2.主観的地名=人の占有経営に伴うものであるから、こじつけに地名でも無理に押して永続することができる。
(明治22年合弁の例:十余三村=13の村が合弁して1村となる)

3.拡充性=最初は、一地点又は一地形につけた名を、これを包含して広い地域にも使ってゆく。

4.踏襲性=開拓の後までも、その土地の経営の始まらない前からある地名を、そう変わらず使っている。

 

さて、所沢の地名はどのようないきさつで、「所沢」となったのでしょうかね?
参考資料『所沢の歴史と地理』、『ところざわふるさと散歩』によると
【一つ目は】
アイヌ語にト・オロ・ベツ(沼を持つ川)という地形を現した言葉が、所沢の地名の由来だとする説があります。

【二つ目は】
人の生活の風習から生まれた説。和服を着た時、右えりと左えりの合わせ中を「フトコロ」といいますが、両丘陵をかかえている所沢の地形が、その「フトコロ」に似ているところから、「フトコロの沢」と呼んでいたが、いつのまにか「トコロザワ」に変わった説。

【三つ目は】
平安時代の初め「伊勢物語」の主人公と言われる在原業平(ありわら の なりひら)が、勉強のため各地を回っていた折、この地を訪れ、東川を挟んだ両岸に「野老(ところ)」という植物が多く生えているので、「野老の沢か?」それを聞いた土地の人びとが、その言葉をとって「野老沢」という村の名前にした説があります。

「野老」という植物の葉です。

 

.Makeところざわ2017のロゴマークもここからです。

 

【四つ目は】
「道興准后の生涯と信仰」の中に「新座の野火止、入間、多摩の緒地を訪ねた」ようなことが書かれてあった。

 

また、室町時代の京都の僧道興は、東国をめぐる旅の中で所沢を訪問して「観音寺」で酒とヤマイモのもてなしを受け、宮本町の新光寺の案内板に「文明18年(1486)聖護院門跡の道興准后が書いた「廻国雑記」に野老沢(ところざわ)という所に行った時に、 観音院に福泉という山伏がいて、竹筒を取り出したるところ、*酒の肴に薯蕷(ところ)というものを出したので、『野遊のさかなに山のいもそいて、ほりもとめたる野老沢かな)と歌をよんでいることが記されている。』と書かれてあります。

*「酒の肴に薯蕷(ところ)というものを出したので・・・・」
薯蕷(ところ)と書かれていますが、調べてみると「しょよ」と読み、意味はやまのいも・つくねいも・ながいもなどの根をすりおろした食べ物です。

 

 

宮本町の新光寺

 

所沢市章は、所沢の地名の由来の一つともいわれているヤマノイモ科の多年生つる草の「野老(ところ)」の葉を図案化したものです。まわりはカタカナのワを3つあわせたもので、「和」をモットーにした市づくりを表しています。市旗として使う場合、旗の地色は白、市章部分は緑の染め抜きとされています。

(所沢市HPより)

 


記事のタグ:

記事の執筆者プロフィール

ぶん Bun
ぶん ライター
2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

この記事を気に入って頂けましたか?
所沢なびをフォローすると最新情報をお届けできます。