所沢のパンのルーツを探せ!


皆さんこんにちは、“ぶん”です。
今日は所沢の「パンのルーツ」を探してみました。まずは、世界からひも解いてみました。

 

パンの起源は今から約1万年前にチグリス・ユーフラテス河畔で小麦粉を挽いて、水と混ぜてから加熱し、粥状を食べていた。
その後、粥状を熱した石の上で焼く法が編み出されたのは、紀元前6000~4000年頃のこと。

古代エジプト、新王朝時代第18王朝(紀元前1550~1295年)の高官ケンアメンの墓の壁画。

 

日本のパンの歴史は
今から474年前の天文12年、種子島に漂着したポルトガル人が、その後、九州地方を拠点に、キリスト教、鉄砲とともに「パン」を日本人に伝えたとされている。
西欧文化の吸収に意欲をみせた織田信長は硬いパンの一種「ビスコート」を食べていたという記録も残っています。

 

さて、所沢のパンのルーツを探ってみますと、今から100年前の大正6年ごろ、寿町と元町の間の道、山田屋横丁の坂を登ったところに通称「パンけい」さんと呼ばれている人がいた。
この人は当時まだ地方では珍しい「玉子パン」を焼いていたという。

 

「玉子パン!」どんなパンだろう?

調べてみると。
玉子パンのルーツは大正時代。卵のような丸い形をしていたので、玉子パンと呼ぶようになったようである。
材料は小麦粉、卵、砂糖だけで簡単に作る事ができ、また味も美味しいので、大変ブームとなったそうだ!

ラミデュパンの「たまごパン」

 

そこで「玉子パン」を買ってみた。
中を割ってみるとピンク色、カシス使用とのこと。作っているところは、京都市北区柴竹のラミデュパンです。

 

やがて、パンけいさんが引っ越すと、その頃、宮本町に住んで居た斎藤さんという人が跡地に引っ越しして来た。
斎藤さんの屋号を「長生堂(ちょうせいどう)」と名付け、ここでパン屋を開いた。といっても食パンや菓子パンは焼けず、主として「甘食」や四角いごまの入った「カタパン」などを焼いていた。

絵画は故 峯岸正雄さん著「むかしのところざわ百景」

 

西武百貨店で「甘食」を買って食べてみた。
円錐形をした食べ物で、甘食が生まれたのは、明治時代の中ごろといわれています。
小麦粉と卵、バター、砂糖

 

ほんのり甘いがパサパサして水分が必要であった。

 

齊藤さんは陸軍飛行学校内の補給廠(しょう)へ“箱車”で製品を収めたり、町の駄菓子屋に卸していたという。飛行学校の兵隊さんは外出するときに昼食用にこのカタパンを持って行った。
やがて補給廠が立川の5連隊に移動すると、齊藤さん一家も立川へ引っ越して食堂を開いたそうだ。

軍隊堅麺麭(ぐんたいかたぱん)

 

その後、本格的にパン屋として店を構えたのは、現在元町の「木村屋」である。
大正末期、山口村(現・所沢市山口地区)出身の山田儀高氏(故人)が日本橋の製粉会社に勤めているとき、パン製造に興味を持ち、何とか地元で店を開きたいと考え大正11年3月に現在地へ開店した。
(今から95年前のことである)当時の所沢としては“ハイカラ”な店がひとつふえたわけだ。

 

この頃はイースト菌が思うように無い時代のことで「酒だね」を使用し、パン焼きには毎日苦労したという。
以来、食パンをはじめ、あんパン、ジャムパン、オリジナル製品をも開発し、入札の結果「陸軍御用」に指定され、陸軍飛行学校へ多量納めることになった。
その後、はるばるオート三輪で毎日立川の飛行学校へもパンを納めたとのことである。

 

参考文献: 作家ごちそう帖 ・ パン入門・ パンの歴史 ・ むかしのところざわ百景

 


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記事の執筆者プロフィール

ぶん Bun
ぶん Bun ライター
2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

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