天体に魅せられ50年、ビクセンを経て50代で起業!リアルな「星空の景色」を全国で見せたい|福島福三さん
長野県阿智村、そこは星が見える村として知名度が高く年間20万人が訪れます。その仕掛け人の一人が、所沢市にある株式会社ビクセンに勤めていた福島福三さんです。現在は独立起業し、全国各地で星空関連の事業のコンサルタントなどを行っています。星空の魅力を福島さんに伺いました。
▲星空プロダクト株式会社 福島福三さん
星空が”当たり前”だった 天体望遠鏡を使うも「がっかり」して分解
今回ご紹介する福島福三さんは、昭和40年秩父市生まれ、現在57歳です。もともと天体望遠鏡メーカー株式会社ビクセンに長年勤務し、営業企画部門の第一線で活躍していました。「もっと多くの人に星空を見せたい」とビクセンを退職し2022年に起業、現在では全国を飛び回り、星空を通じた様々な事業のコンサルタントとして活躍しています。
スマートかつ熱く「リアルな星空の景色を見てもらいたい」と話してくれた福島さん、どのような人生を歩んできたのでしょうか?
▲福島さんがプロデュースした阿智村ナイトツアー「アルテミス」
福島さんが生まれたのは1965年、高度経済成長期の真っただ中です。
当時住んでいた秩父市の夜は「明るかった」そうですが、たまに遊びに行く親御さんの実家は秩父市郊外の山の中にあり「真っ暗」でした。その家では夜、外にあるトイレに行く度、満点の星空を目にしていました。とはいえ、幼い頃の福島さんにとって星空は当たり前すぎる存在で、取り立てて興味を持つということはなかったようです。
そんな福島さんが、初めて「星空」を意識したのは小学校2年生の頃。「もっと星空を見たい」という気持ちになった福島さんはおこづかいを貯めて3万円程度の天体望遠鏡を買いました。
「どんなに素晴らしい星空が見られるのだろう!」ワクワクして望遠鏡を覗き込んだ福島さんを待ち受けていたのは、想像とは程遠い天体の姿でした。こんなはずじゃない! がっかりした福島さんは望遠鏡を分解してしまいます。
どうしても自分のイメージ通りの星空を見てみたい福島さん、それから1年かけてお金を貯め「次はもっと良いものを!」と、10万円程度の天体望遠鏡を購入します。果たして、福島さんの満足のいく星空の姿は見られたのでしょうか?
新たに購入した望遠鏡を覗き夜空を目にした福島少年、「望遠鏡で見る宇宙の姿は僕のイメージと違うんだ」と悟ったそうです。
テレビ取材も受けた、小4で天文同好会立ち上げ
望遠鏡で見られる星空の姿に限界を感じた福島さんでしたが、小3の頃には天体写真を撮るようになりました。
やがて、本格的に周囲の友人と共に夜な夜な星空観測をするようになり、10歳で福島さんを中心に小学生だけで天文同好会を立ち上げます。
会は当時400程度あった同好会のひとつとして天文雑誌の一覧に掲載され、小学生だけで立ち上げた天文同好会は珍しがられテレビ番組にも取り上げられました。
小6の夏休みにはペルセウス流星群をこの目で確かたい、と雨の日以外毎晩星空観測を行い、30数日間の記録をグラフや写真にまとめます。県の展覧会では金賞を受賞。着々と”星空博士”への道を歩んでいた福島さんは「天文学者になりたい」と先生に相談します。先生の返答は「東大か京大で天文学・地学を学びなさい」というものでした。
「確かに猛勉強すれば東大や京大には入れるかも知れない。でも星を見る時間がなくなってしまう!」
福島さんは学者になることはあきらめ、それ以外のことで星と関わろうと心に決めました。
天文学者への道を進むことをあきらめたからではないのですが、その後、中学に入るころにははほぼ星から離れてしまいました。
代わりに打ち込んだのは、もともと心臓が弱かった福島さんが体力を付けるために、と始めた軟式テニス。ここでも熱心に練習を重ね、県大会で好成績を収めるほど上達しました。
高校卒業後も、天体とまったく関係のない業界に就職。社会人として日々を送っていましたが入社後1年ほど経ったころとある求人を目にします。福島さんが小学生の頃購入して分解してしまった天体望遠鏡の製造メーカー「ビクセン」が本社を所沢に移転、それに伴い社員を募集していたのです。
「そうだ! これがやりたかったんだ。自分にはみんなに見せたい”宇宙の景色”があるんだ」
こうして、社会人になった福島少年は改めて星空の道を歩み始めたのです。
▲冬の八丈島登龍峠
企画・開発・販売を担った日食グラスは200万枚売れのヒット商品に
ビクセン入社後福島さんは、いかに理想の宇宙の景色を人々に見てもらえるかを考え、そのためには星空を観察する企画商品を発達させなければ、と営業企画に奔走しました。
天体を観察するための大ヒット商品を世に送り出したこともありました。「日食グラス」です。
2009年7月22日、日本の陸地では46年ぶりとなる皆既日食が観察できる予定でした。この時福島さんは「8000万人が日食を見るだろう」と考えました。しかしながら、太陽を肉眼で見ると光と熱で網膜がやけどを負い、失明につながるおそれがあります。
どうにか、人々が安全に日食を見られるようにできないものか。
福島さんはプロジェクトを立ち上げ、眼科医が安全性を認める目に有害な光線をカットする遮光プレートを使用した観察アイテム「日食グラス」を企画・販売します。
数十年に一度の天体現象は人々の注目を集め、続く2012年5月21日の金環日食も話題となり、「日食グラス」は200万枚売れた大ヒット商品となりました。
▲日食グラス
星空を「カルチャー」から「エンターテイメント」へ
いま福島さんは、星空を多くの人に見せるために全国を飛び回っています。
「星を見たい」という人は多く、また全国には各都道府県ごと1、2箇所は必ず星の聖地と呼ばれる場所があります。しかし、双方をつなぐ線は圧倒的に少ないのが実情で、福島さんはその架け橋を担います。
自身の年齢も50代後半に突入し「”宇宙の景色”を多くの人に見せるためには人生の限りある時間を有効に使いたい」、そう考えた福島さんは37年勤めたビクセンを退職し、2022年「星空プロダクト株式会社」を起業しました。
手がけているのは全国各所で地域資源を生かした星空を通じた観光コンテンツの創出です。ビクセン在職中から携わっており、代表的なものには長野県阿智村での取り組みが挙げられます。星空を観光の目玉にしたい阿智村の人からビクセンに連絡があったことがきっかけでしたが、会社として関わること以外にも福島さんは休日を利用しプライベートでも阿智村のプロジェクトに協力しました。
当初、阿智村の星空イベント参加者はたったの数人ほどでしたが、現在は年間20万人がやって来る一大観光コンテンツとなっています。
▲阿智村ナイトツアー
福島さんの語る星空イベントのカギは「星空をエンターテイメントに」というものです。
他の多くの星空イベントでは先生役のガイドが語り、生徒のように参加者が聞く、というスタイルが見受けられます。しかし、福島さんは「ガイドが主ではなくお客様が主役になることが大事。ガイドはあくまでもアテンドする人」と考えています。福島さんは星空イベントを「カルチャー」ではなく「エンターテイメント」を楽しむスタイルとして確立させようとしています。
▲星空イベントでは高性能な天体望遠鏡を用意。自身の目で月や星を間近に見ることができた参加者から歓声が上がることもしばしば
世界的に見ても、海に囲まれた日本は大気がきれいなため、天の川が全国で見られる希少なエリアです。各所が空港からのアクセスも良く、夜であっても治安が良いため、利便性・安全性の面でも海外からのツアー客に訴求できるという側面もあります。
▲都心・お台場でも星空イベントを開催
日本に住む人のみならず世界からこの国にやって来る人に、日本の星空を見せたい。
秩父から見た夜空の光景から始まり、所沢のビクセンで経験を重ねた福島さんの星空を巡る旅は、まだまだ続きます。
1965年(昭和40年)秩父市生まれ。小4の頃、友人と天文同好会を立ち上げる。
20歳でビクセンに入社。37年間勤めたのち「星空を創造する会社」というビジョンを掲げ「星空プロダクト株式会社」を起業。星空を活用したコンテンツを創出するため全国各地を飛び回っている。
▶星空プロダクト 公式サイト
https://www.hoshizorapro.com/