所沢に国指定重要文化財があった。


皆さんこんにちは、“ぶん”です。

皆さんは所沢に「国指定重要文化財」があることご存知でしょうか?

それは、西武線「西武球場前」から徒歩5分ほどの「狭山山不動寺」です。

狭山山不動寺は天台宗別格本山の寺院で、上野寛永寺の密仏であった不動明王をここに移して本尊とし、また各地から移築した由緒ある建造物が多くあります。

その中で、もと、東京港区芝の徳川家菩堤所である増上寺にあった、台徳院霊廟、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の霊廟で、寛永9年(1632年)に建立されました。

※霊廟(れいびょう)とは先祖や偉人などの霊を祭った宮。

この霊廟は、当初日光輪王寺大猷院廟(3代家光)と同じ規模を整えており、昭和5年5月23日、国宝に指定されました。

しかし、昭和20年5月25日、東京空襲により、惜しくも本殿、相之間、拝殿など大部分が焼失し、幸にも「勅額門」・「惣門」・「丁子門」・「御成門」の4棟は戦災を免れました。

昭和38年6月30日、「惣門」を除く3棟が所沢市上山口のユネスコ村に移築され、現在の所在地は、狭山山不動寺境内となっています。

なお、残る1棟の「惣門」は、東京都港区芝公園に現存します。

 

それでは、狭山山不動寺にある由緒ある建造物「国指定重要文化財」3棟を紹介いたします。

一つ目は勅額門(ちょくがくもん)

勅額門は、台徳院霊廟の入口にあった門です。現在も狭山山不動寺の入口ある門です。寛永9年(1632)孝養報恩の志をのべたいと、3代将軍徳川家光が健立したものであります。同年、後水尾天皇の直筆を賜ったので『勅額門』と呼んだ。

その額は、門の正面に掲げてあります。


※勅額(ちょくがく)とは、皇帝・天皇などの為政者が国内の寺院に特に与える直筆の書で記された寺社額。

 

台徳院霊廟は日光東照宮造替(ぞうたい)の直前に当時の明匠甲良豊後守宗広らによって造られたものであります。

極彩色華麗な門で、構造形式は銅板鋤葺切妻造四脚門という。

 

二つ目の御成門(おなりもん)は勅額門から石段を上がったところにあります。

御成門は台徳院霊廟に寛永9年(1632年)3代将軍徳川家光が建立したものです。

 

飛天(ひてん 空中を飛行する天女)の彫刻や絵画が多く描かれ、朝鮮渡来の天人門といわれる。

 

格天井(ごうてんじょう)の中央に丸い鏡天井が設けられたり、組物、腕木などに、独特な手法を伝えています。

見るときには、後ろに回って見れば、中央に丸い鏡天井が見られます。

 

三つ目の丁子門(ちょうじもん)は、徳川家崇源院霊牌所(すうげんいんれいはいしょ)の通用門でした。

寛永9年(1632年)3代将軍徳川家光が建立したものです。

 

建築の細部手法、色彩等に江戸初期に見られる、特有な階調を示し、唐草を基調としているが、自由な扱いをしているところに特徴があります。

 

お寺には増上寺からの移した燈籠が数多く見かけられるます。

 

なぜ、国宝級の重要文化財が増上寺から所沢に移築されたのか?

狭山山不動寺の方のお聞きすることができました。「西武グループが、東京都港区芝にプリンスホテルを開発する際に、西武鉄道グループの当時のオーナーであった堤義明氏が文化財をこの地に集めたと」。

「国登録有形文化財」と「国指定重要文化財」の違いとは。
以前、「秋田家住宅」紹介した物は「国登録有形文化財」、今回は「国指定重要文化財」です。
簡単にご説明しますと国が直接「指定」するものは「国指定重要文化財」。
届出て文化財登録原簿に「登録」されると「国登録有形文化財」、「指定」より「登録」の方が緩やかな保存と活用が可能です。

参考文献: 所沢市史 埼玉ふるさと散歩 狭山山不動寺資料



記事の執筆者プロフィール

ぶん Bun
ぶん Bun ライター

2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」!
仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

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