リポート『OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展』 世代を越えて愛される彼の魅力とは
『OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展』が2022年12月21日~2023年2月5日、「ところざわサクラタウン」内「角川武蔵野ミュージアム」で開催されています。
没後30年、2022年3月の東京会場を皮切りに、福岡や関西などの各地を巡回したこの企画展が、満を持してこの所沢にやってきました。
開催にあたって12月19日に公開された先行内覧会とトークセッションに行ってきました。
尾崎世代の私が、個人的な視点や熱い思いを交えながらリポートします。
所沢(KADOKAWA)で開催する意味
日本のロックシーンを代表するシンガーソングライター尾崎豊、実は埼玉にゆかりがあることをご存じでしょうか。生まれは東京ですが、10歳から中学、高校時代を過ごしたのが埼玉県の朝霞市、そして永遠に眠るお墓があるのが狭山湖畔霊園(所沢市)なのです。原点と終着点を結ぶこの二つの場所を線で結ぶと、真ん中に開催地KADOKAWA(東所沢)があります。この地は、彼にもう一度出会う旅路の「ハブ」として、何か意味を持つように思います。
『尾崎豊展』
ではいよいよ『尾崎豊展』に入っていきましょう。
あの楽曲が直筆で
彼が生前に発表した作品は全部で71曲。本人直筆の楽譜や歌詞、録音に使われたメモなどが展示してあります。
まずは代表的な曲の一つ『15の夜』。デビュー曲ですね。「盗んだバイクで走り出す~」のサビを聴くと分かる方もいるでしょう。当時高校生だった彼が、社会や大人に対する憤りをストレートにぶつけた歌。自分の思いを代弁してくれていると当時の若者は共感しました。
この曲の歌詞の中で「熱い缶コーヒー」というフレーズがあるのですが、この手書きの紙には「ホットコーヒー」と書いてあります。
『15の夜』の手書きの歌詞
続いて『I LOVE YOU』。多くの著名アーティストがカバーしている名曲です。
ポイントが赤いペンで書かれているレコーディング用歌詞シート
そして『OH MY LITTLE GIRL』。1994年にリリースした14枚目のシングル。個人的に推しの曲です。月9ドラマに使われ、10年、20年を経て映画の主題歌にもなりました。
映画「ホットロード」(2014年)の主題歌
このほかにも『卒業』『シェリー』『僕が僕であるために』などが続きます。
手書きの文字を一つずつ目で追って、一人心の中で口ずさんでいるとなかなか先に進めません。
そして、10代にリリースした全29曲の中で最後に書き上げた『Forget-me-not』。歌詞に出てくる「忘れな草」の花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」。このノートに書かれた歌詞には、彼の魂が込められているようです。
レコーディング最終日に書き上げた歌詞ノート
デビューから9年、ひたすら走り抜け、数々の楽曲を世に出してきた尾崎豊の創作過程が、30年の時を経て目の前で見ることができるのはとても貴重な体験でした。
そんな曲を生み出す際に使われていた備品も多数展示されています。
こちらは、実家で使っていた机。愛用の筆記用具や学生時代を共にしためざまし時計もそのままに。
初期作品を数々書き上げた学習机
こちらが愛用のピアノ。ピアノ欲しさに高校1年のころ、ロイヤルホスト新座店(現在は閉店)で皿洗いのアルバイトをしたというエピソードが残っています。
次はちょっとした異空間です。
尾崎豊の言葉たち
尾崎豊の言葉を全身に浴びるならここ。尾崎豊が紡いだ言葉たちが真っ暗な空間を飛び交い、言葉たちに包み込まれる体験ができます。このデジタル空間では、言葉が降ってくる、訴えかけてくるようにも感じます。
「おろかな弱さ」「幸せ」「生きる」「愛」・・・言葉の世界を体感ください。
こちらはそんな言葉たちを生で味わえるライブツアー関連。
全ライブの会場名と年月日が記載してあり、あの時あのライブに行った、という懐かしい思い出に浸るファンもいるのではないでしょうか。
ステージ衣装。白いTシャツにジーンズ姿が印象的な彼ですが、派手な色や多少奇抜なデザインも似合っていました。
一番手前の衣装をまとった姿が2階エントランスフロアのフォトエリアで見られます
このあとは尾崎豊の秘宝ともいえるものたちです。
貴重なプライベートアイテム
私物が多数展示されているコーナー。
CANONの一眼レフカメラは、息子の裕哉さんの成長を撮るために愛用していたもの。自分の撮影時にはカメラマンに熱心に撮影の構図について質問していたそうです。
ポラロイドカメラで撮影した写真も
愛用の手帳や財布も展示されていて、財布には飛行機の搭乗券や診察券まで残っていました。
手帳には「ファンクラブ」「カレンダー」「田島デザイン」などの文字が
このほか、ニューヨークに単身渡ったときにプロデューサーの須藤氏に宛てた手紙や、デビュー当時にサインを練習していた紙まで展示されていました。
もっと彼について知りたくなったら出口付近にある図書エリアへ。本人書籍や関連書籍など約100冊を展示してあり自由に閲覧できる空間です。
『月間カドカワ』をはじめ関連書籍の数々
『トークセッション~失くした1/2~』
続いて、トークセッションの様子をお伝えします。
トークセッションには、尾崎豊の育ての親である音楽プロデューサーの須藤晃さん、フォトグラファー&アートディレクターの田島照久さん、尾崎豊さんの息子でシンガーソングライターの尾崎裕哉さんが登壇しました。
奥から須藤晃さん、尾崎裕哉さん、田島照久さん
尾崎豊と関係の深い須藤さんと田島さんは、彼との思い出やエピソードを昨日のことのように話し「そうだったんですね」と返す息子の裕哉さん。そのやり取りに親戚のようなあたたかさを感じました。
生前の記憶がない父親の存在について裕哉さんはこのように語っていました。
「10代の頃は、彼は本当に父親なのか、アーティストなのかわからなかった。たくさんの人に愛される彼が残したものを僕が受け継いでいけるかわからないけど、多くの人の気持ちを汲み取りたい」
次第に息子の自分が父である尾崎豊の歌を歌うことの意味を考えていたといいます。ファンとしては大好きな尾崎を体現してもらえると喜ぶ一方で、それを良く思わない人もいました。でも父親の歌を歌ってみると、自分の個性に気づかされたそうです。
シンガーソングライターとして使命感のようなものを感じているのではと思いました。
息子の尾崎裕哉さん
トークセッションの中で印象的だったのが、須藤さんが語ったこの話。
「彼は愛と平和に対してまっすぐでした。いくら”平和になろうよ”と叫んでも、解決しないことが分かっていた。いつまで経っても世の中が平和にならないことが分かっていた。それでも言い続けていました。世界ではロシアのウクライナ侵攻が続く今、生きていればやっぱり同じことを言うでしょう。言ってもしょうがないことを言い続けているから彼は愛されていたのです」
このほか、デビュー前に公園で落ち葉の上に寝転んで撮影したエピソードや、父親と息子の似ているところと違うところなど、真面目さとユーモアを交えた終始和やかなトークセッションでした。
今回の取材をとおして、尾崎豊が何と戦い、何を伝えたかったか、その一片を垣間見た気がしました。
必死に生きた26年の軌跡を感じられる『OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展』。
リアルタイムのファンも、没後に知って聴くようになった世代も、昭和、平成、令和と時代を飛び越えて歌い継がれる魅力にぜひ触れてみてください。
『OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展』ところざわサクラタウン 概要
日時:2022年12月21日(水)~2023年2月5日(日)
会場:ところざわサクラタウン 角川武蔵野ミュージアム5階
開場時間:日~木10時~18時/金・土10時~21時(最終入場は閉館の30分前)
休館日:毎月第1・第3・第5火曜日(祝日の場合は開館、翌日閉館)
※2023年1月16日(月)~20日(金)は臨時休館となります。
※最新情報は角川武蔵野ミュージアムHP(https://kadcul.com/)をご覧ください。