その昔、所沢にお城があった!
こんにちは。「所沢なび」ボランティアライターの“ぶん”です。
所沢にお城があったかな?と思う人も多いと思いますが、所沢にも『滝の城』がありました。
お城と言えば、皆さんは石垣が高く積み上げられて、白壁の天守閣が高くそびえている。
そんな想像をすることでしょう。
しかし、お城が美しい姿になったのは、天正年間(1579年ごろ)に織田信長が、安土城を築いてからです。
それ以前の城は、天守閣や矢倉門もなく、石垣もあったり、なかったりの、粗末なものでした。
さて、所沢の「滝の城」の話になります。
「滝の城」は埼玉県所沢市城23番地にあり、別名「本郷城」といいます。
地図だとこの辺りになります▽
城があった当時は、まだ城の集落はなくて、このあたりは一郡の中で中心になった所から「本郷」という名が付けられたようです。
滝の城は、柳瀬川の高台にあり、館(やかた)の形から室町時代(15世紀後期頃)に造られた城です。
南側は高さ約25mの急崖、北側は三重の堀や土塁によって守られています。
本郭(本丸)の地には、深い堀を隔てて、二の廓(二の丸)、三の廓(三の丸)がり、そこには物見やぐら跡や、社務所があり、多郭式の平山城であります。
※「平山城」とは平野の中にある山、丘陵等に築城された城のことをいう。
大手門跡は、東北の人家の間にあり、昔、門を建てたようである。
【歴史的背景】
滝の城は15世紀後半、山内上杉氏の家臣で、当時、武蔵守護代など歴任した大石氏が築いたが、その後、北条氏に接収され、北条氏康の三男、氏照の持城となった。
今から427年前、天正18年(1590年)この城も豊臣秀吉の小田原攻めの際に浅野長政勢の攻撃を受け落城、後に廃城されました。
昔の戦争は、戦争がはじまると、城下に住んで居た志士たちは、城に立てこもります。
食料は、焼米や乾魚、乾燥野菜です。城は立派な建物はなく、雨をしのぐ小屋があるぐらいでした。
平成28年発掘された堀の跡、堀には仕切りが設けられていることから、北条氏の城特有の障子堀であることが分かった。(市民新聞より)
※「障子堀」とは堀底に、落とし穴や、堀底を仕切るような土塁状の障害物を設けることもあって、それらを障子(しょうじ)とよんでいたそうです。
資料参考
ところざわふるさと散歩 ・ 市民新聞 ・ 滝の城保存会
模型写真:所沢市生涯学習推進センター
お城に興味がある方は、ぜひ現地に足を運んでみて下さいね。
第6回戦国滝の城まつり
日時 2017年5月21日(日) 10:00~15:00
場所 滝の城跡(埼玉県所沢市城537番地)ほか