所沢の登録有形文化財!
皆さんこんにちは「ぶん」です。
今日は前回に引き続き所沢の登録有形文化財の紹介です。
ファルマン通りを航空公園へ行く途中に東川に架かる 『旭橋』 が平成21年8月7日に登録有形文化財に登録されました。
所沢市は、明治44年に、わが国で最初の飛行場が開設された「航空発祥の地」として知られています。
この所沢飛行場ができるとき、新田(日吉町)から東川に至るまで、うっそうとした竹林(2町5反)を切り開き、飛行場へ道路が造られました。※(1町=1ヘクタール。一辺が100mの正方形と同じ広さ。1反は畳600畳分。)
人々は誰ということなくこの道を「飛行機新道」と呼ぶようになり、「旭橋」は、この道の途中にある東川に架けられた橋で、最初は土橋であった。(土橋とは一般には木の橋の一種で、橋面に土をかけてならした橋)
絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より
飛行場の拡張に際し、昭和に入ると橋の架け替えが計画され、相模木工の設計、入曽の施工会社に入札が決まり、当時はかなり難工事であった。不景気で巷に失業者が溢れていた時代臨時の土方が周辺から多数参加して日当は60銭で、ちなみに米1升(1.5K)16銭であった。
約2年の歳月と3万数千円の工費をかけて昭和5年3月(1930年)の現在の旭橋が竣工した。
この時の落成式には、三代の夫婦が揃っているここから地元の金物店の三夫婦が渡り初めを行ったといわれるように「飛行機新道」は軍事用の道路というばかりでなく、しだいに生活用の道路としても住民に親しまれるものになってきたことがうかがえる。
昭和10年末期には、太平洋戦争の激化により、金属提出のため、親柱上にあったブロンズ製で唐草模様をあしらった六角形の電灯が取り外されたが、その後は大きな変化はなく、昭和60年に親柱と高欄に化粧直しの補修を受けた程度である。
絵画は故峯岸正雄さん著・「むかしのところざわ百景」より
橋梁本体は、全長10mの幅員12mの斜橋形式の鉄筋コンクリート造単桁橋で、技術的にも平凡であるが、この橋の魅力は、幾何学模様をあしらった赤御影石を基調とし、これにタイル、ブロンズの金具などで装飾を加えた欄干はリズミカルな白タイル貼りの連続アーチで飾られます。
親柱の上部には、かつてブロンズ製で唐草模様をあしらった六角形の電灯が設置されていたと伝わりますが、戦時中の金属供出で失われ、現在は台座だけが残されています。
竣工当時は、夜になると本を読みに来る若者を集めたという、親柱上のブロンズ製の電灯失っているのは残念であるが、是非再現してもらいたいものである。
旭橋のたもとに登録有形文化財に登録された標識があります。
※現地は車道上です。見学の際には十分ご注意ください。
【資料参考】
・埼玉県の近代化遺産
・むかしのところざわ百景