ゴボウ畑から2万年前の石器が!?
皆さんこんにちは、ボランティアライターの“ぶん”です。
所沢市は、旧石器時代の約3万年前に人が生活していた痕跡が残り、中でも三ケ島の「砂川遺跡」は、2万年前、日本の旧石器時代研究に重要な方向性を与えた遺跡で、考古学の研究を語るうえで、なくてはならない存在となっています。
それは、2万年前の日常を、具体的、繊細に解明する方法が※研鑽(けんさん)されたからであります。
※研鑽とは・・・(学問などを)みがき深めること。
挿絵:所沢の旧石器時代と縄文時代
【ゴボウ畑から2万年前の石器が!?】
所沢に今から2万年前に、旧石器人がこの「砂川遺跡」に住んでいたことがどのようにして発見されたのでしょうかね?
それは、当時昭和40年(1965年)所沢市西部の三ヶ島地区に住む、故本橋清さん(当時所沢市文化財保護委員)自分の畑でゴボウを掘っていたところ、石器の破片を見つけ、それは先端を尖らせ、また鋭く長い刃をつけた、ナイフの形をした石器だった。
砂川遺跡は故本橋清さんのご家族より、所沢市に寄贈していただき、「砂川遺跡都市緑地公園」として整備されています。
1966年までに故本橋さんはナイフ形石器を含む石器を採集し、当時、明治大学講師、のち明治大学学長に報告、それが、砂川遺跡の第一調査実施のきっかけとなり、学術発掘調査が行われた。
その形状から、槍の穂先と考えられ、突き刺すための道具やカッターナイフのように切るための道具と考えられる。
1993年(平成5年)には出土石器群が国指定重要文化財に指定されています。
1966年第1次調査(A)地点と1973年第2次調(F)地点の調査から、合計あわせて769点の石器と石片が発見されました。
調査区では、出土地点の場所や標高を全記録とし、石器をとおして旧石器人の生活や行動を明らかにする研究の基礎となったのす。
なお、この砂川遺跡から住居跡らしいものは発見されなかった。
当時の人は、おそらく、草木などの材料で作ったテントや自然のほら穴や大木の洞を利用して住んでいたんであろう。
(F)畑の中にレンガで囲った丸い範囲が石器と石片が発見されたところです。
(F)地点から出土した「遺物」です。
(A)畑の中にレンガで囲った丸い範囲が石器と石片が発見されたところです。
(A)地点から出土した「遺物」です。
【砂川遺跡の今】
故本橋清さんが収集された貴重な資料や文献資料は「埋蔵文化財調査センター」で見ることができます。
故本橋さんが収集された貴重な資料や文献資料は、自宅の展示ケースで保管されていたが、砂川遺跡の重要性を考え、多くの市民に見てもらうと共に、永く保存するためにご家族の意向によって、平成22年3月17日付けで所沢市に寄贈されました。
「埋蔵文化財調査センター」内
なお、砂川遺跡第1調査と第2調査から発見された石器は明治大学に保管されています。
所沢の2万年前の旧石器や縄文時代を是非埋蔵文化財調査センターへ見に行ってみては。
【埋蔵文化財調査センター】
埼玉県所沢市北野2丁目12番地の1
電話:04-2947-0012
【砂川遺跡の場所】
所沢市三ヶ島3丁目1075番を中心とする南に東川、北に砂川の谷に挟まれた幅約500の台地にあります。
【参考文献】
武蔵野に残る旧石器人の足跡 ・ 所沢市の旧石器時代・ 埼玉ふるさと散歩 ・ところざわ歴史物語