「ところ学」の所沢旧町散策!野外研修
「所沢なび」ボランティアライター“ぶん”です。
昨年10月より半年間、所沢生涯学習推進センターにて「ところ学」入門コース、所沢に関する基礎知識や所沢の歴史を学んでいます。また「ところ学」では「語り部養成コース」もあり、周りの人に伝える「語り部」を養成する講座です。
さて、本題に入りますが、昨年12月に野老澤町造商店の三上博史さんの講義で、所沢旧町の歴史を学び、1月19日(土)野外研修では旧町中を散策しながら学習しました。
当日は9時30分所沢駅東口をスタートし、初めに三上さんが案内してくれたところは、所沢駅東口ロータリー付近(埼玉りそな銀行前)保健所の発祥の地。農村保健館は昭和12年に設置された日本最初の保健所です。
次に向かったのは松井村駅(所沢飛行場駅)跡です。
西武鉄道の前身である武蔵野鉄道、1938年(昭和13年2月)現在の秋津駅~所沢駅間に駅を設置。
地名松井村を取って「松井村駅」と称したが、所沢飛行場と陸軍飛行学校で働く人達の為に「所沢飛行場駅」に変更したとのことです。
東川近くの能面美術館を通り「熊野神社」へ。
熊野神社鳥居の西側に道標が建てられ、角柱に刻まれているのは「大正十年九月、○○(松井村?)青年団、下新井上組支部」
裏側には「左 飛行場 富岡村 右 所澤町」の刻字。
「陸軍用地」
所沢航空記念公園交差点から東川へ行く約50メートルの所に「陸軍用地」と刻字されている道標があった!場所は「所沢市消防団第二分団前」です。
所沢飛行場は1911年(明治44年)4月1日、 日本初の陸軍飛行場として開設されています。その時の境界石だろうか?説明を受けないと絶対見つけることはできないであろう?
「所沢飛行場前」
昭和13年6月3日、東川の鉄橋脇「所沢飛行場前」新設され、駅舎は長い階段を登った所にあったそうです。
「更申堂(こうしんどう)」
庚申信仰に基づいて建立される仏堂のひとつ。
お堂の額には「庚申青面金剛」とあります。
かなり古い三基の更申堂が並んでいます。
「更申堂」⇒「川端霊園」⇒「坂稲荷」へ。
創立は寛政年間(1789~1800)と言われています。所沢宿の下町の商人を中心に信仰を集めたお稲荷様。
「坂稲荷」から銀座商店街を散策しながら「若葉横丁」⇒「織物事務所跡」⇒「実蔵院」⇒「金山神社」そして「旧鎌倉街道」へと散策。
「若葉横丁」標識(埼玉りそな銀行横)。
標識に書かれているのは「大正の頃、埼銀所沢支店の所に「若葉」というカフェーがあり、のちに料理店になり夜更けでも賑やかな横町であった」。
「若葉横丁」⇒「織物事務所跡」⇒「実蔵院」⇒「金山神社」そして「旧鎌倉街道」へと散策。
「旧鎌倉街道」⇒「新光寺」へ。
峰の坂の途中左側の東川沿いに「馬の町」として知られる新光寺がありました。古くから宿場町だった所沢は荷物の運搬に馬は貴重な手段として利用されていた。2月28日馬方達がお堂の周りを着飾った馬を従って披露していた。
「新光寺」⇒「峰の坂」⇒「神明社」へ。
「神明社」境内には富士講の跡があります。江戸時代に成立した民衆信仰のひとつ。神明社には何度か参拝にきたことがあったが、富士講があることは初めて知った!昔は富士山が見えたのだろうか?
「割烹美好」
「神明社」を後に「旧市役所」⇒「薬王寺」⇒「元遊郭」⇒「浦町」そして、待ちに待った「割烹美好」での昼食13時30分。
所沢名物“フォールカツレツ”の旗が!
明治15年、初代、河田大三郎は明治時代の幕開けとともに、洋食文化が求められると着眼し所沢で美好軒を始めました。
明治44年 アンリ・ファルマン機で初飛行に西欧した徳川好敏大尉をはじめ、所沢飛行場の開設に関わった、著名人や飛行機関連の将校、報道記者が美好軒の洋食を食べに来店されました。
100年前から愛されている“フォールカツレツセット”フランス飛行団のフォール大佐が足繁く通い、こよなく愛した美好(当時の「美好軒」)のフランス料理。
ジューシーで柔らかなヒレカツです!また、特製ソースがとっても美味しかった。
フォールカツレツセット 税抜1800円
所沢に引っ越してきて30年余り所沢に住んで居ますが、今回野外研修をとおして、歴史が織りなす過去から現在と、知らないところばかりでした。今回は「ところ学」で半年間の学習でしたが、所沢広報誌や、まちづくりセンター等で単発的に所沢の歴史の散策があります。ぜひ、その時は参加してください。
参考資料:三上博史氏作成。