3500年前の漢字「金文」から紐解く『滝の城跡』


ボランティアライターの“ぶん”です。

所沢市のお城について「山口城跡」「根古屋城跡」と紹介してきました。そして今回は「滝の城跡」です。

山口城跡の記事はこちら→https://tokorozawanavi.com/news-bun20180822/
根古屋城跡の記事はこちら→https://tokorozawanavi.com/news-bun20180910/

各地の観光名所には名城の「お城」があり、美しい石垣や天守閣、櫓(やぐら)といった建築物に素晴らしさを感じます。しかし、当時の人達は敵と命がけで戦い、仲間や領土を守っていたのです。
今から約1万5000年前(紀元前131世紀)さかのぼること縄文時代です。縄文時代は約1万年間続いたとされ、この時代は平和な暮らしでした。

ところが、弥生時代(紀元前9世紀頃~3世紀頃)
この時期には稲作を中心とする農耕社会が成立し、農耕の発展で貧富の差や権力によって部族間の争いが増えてきたことです。そうすると、中心的な集落は壕や棚で防衛をするようになったのです。
こうして生まれたのが、外敵の侵入を防ぐために周りを柵で囲み、壕(ごう)を巡らせた環濠集落で、これが日本の『城』の始まりとされています。


環濠集落の模型を段ボールで作ってみました。

外敵の侵入を防ぐために周りを土塀や柵で囲み、集落には竪穴住居で暮らし、敵を見張る櫓(やぐら)を建てていました。これが日本の『城』の始まりとされています。

 

【『城』の漢字の成り立ち?】
私たちが使っている漢字は、中国から伝来したものです。そこで、『城』を篆刻篆書字典(てんこくてんしょじてん)で調べてみると、約3500年ほど前に中国で作られた漢字「金文」では下記のように書き表されています。

『城』の左側が「土へん」ですが、三千年前の字では

と書き、物見やぐらのような高い建物が立っている形です。

『城』の右側は「成」です。「成」は柄の長い大きな「斧(かま)」の象形文字です。また、「戈(ほこ)槍のように長い武器を表しています。


辞書で『城』を調べると「敵を防ぐため築いた軍事的構造物」。とあります。

戦国時代に築城された「滝の城跡」は「土」+「成」=「城」
地形を利用して『土』でしっかり造り上げ、『成』しっかり仕上げられたのが『城』です。

 

【滝の城跡の概要】
滝の城跡は、所沢市の東部、東川と柳瀬川の合流点に築かれており、断崖にのぞむ、高台25mに造られ、東西360メートル、南北200メートル、東北西の三方は土塁と空堀の規模になります。
本丸の地には、深い堀をへだてて二の丸があり、そこには、物見やぐら跡や、社務所があります。
それらを囲む外郭・出郭で構成される多郭式の平山城です。大正14年埼玉県の史跡として文化財に指定されました。


滝の城跡の模型は生涯学習推進センターに展示してあります。

 

【戦国時代の滝の城跡】
時代は中世から戦国時代(15世紀末~16世紀末)を迎え、応仁・文明の乱(1467~1477)以降、戦乱が頻発し、世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下した。そのため戦国大名が戦いに備えて山城を築き、山城(山の地形を利用して築いた城)の数は飛躍的に増大した。

「滝の城跡」も戦国時代に築城されました。
「滝の城跡」は関東管領(かんれい)室町幕府が関東の政治を政務を総管させるために鎌倉に置いた職名)の山内上杉氏の家臣で、当時武蔵国入間郡・多摩郡に領地を有していた大石氏が15世紀後半(室町時代)に築いたと言われていますが、最近では、それ以前に扇谷上杉氏が、古河公方に備えて整備した江戸・河越(川越)の2城を結ぶ「つなぎの城」として築城したという考えが出てきています。

※「つなぎの城」とは本城と支城間を軍が移動するときなどに、連絡をとるため、その中間の要害の地に築いた城。

その後、滝の城は反北条氏の太田資正がこもる岩付城(岩槻)への「境目の城」として番所が置かれます。
のちに、北条氏の支配下となり、北条氏康の三男、氏照(うじてる)の持城となった。
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻めによって一日で落城したと伝わっています。その後は廃城となりました。

※「境目の城」とは敵の領国付近に造られた城。
※山内上杉氏は扇谷上杉氏の弟の家系に当たる。

本丸跡に「城山神社」が祀られています。

現在でも二重堀部分が残っています。

本丸虎口(ほんまるこぐち)
虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味があります。

空堀(空堀とは水のない堀のこと)

東南側の眺望、武蔵野線が走っています。

「滝の城」は埼玉県所沢市城23番地にあり、別名「本郷城」といいます。
地図だとこの辺りになります▽

参考文献:所沢市発掘調査資料・篆刻篆書字典・日本の城事典・所沢市史(上)・ところざわふるさと散歩・攻める山城50城


この記事を書いた人

アバター画像

ぶん Bun

2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

頂いた応援メッセージ

筆者のぶんです。 コメントありがとうございました。 「所沢なび」をお手伝いするようになり、歴史に興味をもち、テレビ等の歴史物は録画して観ています。 戦国祭りは別途で2017年5月に取材し配信しておりますので、今回は取り上げていませんでしたが、少し取り上げてよかったかもしれませんね。
2020-09-30 15:27:57
よく調査されましたね。 素晴らしいです。 戦国祭りが開催されていることも盛り込まれたら更に良かったかもしれませんね。
2020-09-29 20:34:56

応援メッセージ大募集!

※採用されたメッセージを掲載いたします。
※ご質問やご要望などは「お問合せフォーム」からお願いします。
お問い合わせフォームにお寄せいただいたご質問は、1週間以内にご返信させていただきます。

過去の記事へ
現在2420本無料公開中