縄文時代が熱い!
ボランティアライターの“ぶん”です。
ちまたで縄文時代が熱いってご存知でしょうか?
「縄文時代」の情報を交換し合い、楽しむ方が増えたとか!
7月~9月まで、国立博物館特別展『縄文―1万年の美の鼓動』が開催され、私も見に行きましたが、火焔型土器(かえんがたどき)や土偶の装飾的文様の美しさは、一つひとつの造形美の中に個性的で、当時の人びとの暮らしが豊かさから生まれたように思えました。
所沢市も縄文時代が熱いですよ!
11月6日~18日まで、所沢市生涯学習推進センターで「所沢市文化財展」が開催され、縄文土器など所沢の宝を一堂に展示してあり、新たな一面を知ることができました。
そこで、今回は『所沢市埋蔵文化財調査センター』と西武遊園地近くにある『八国山たいけんの里』を取材しました。
「所沢市文化財展」の膳棚遺跡の出土品
【なぜ、縄文土器と呼ばれるのか?】
土器に縄を転がしてつけた文様(縄目)がついたことから「縄文土器」と呼ばれています。
所沢市は縄文時代の遺跡が全体の半分以上を占めていますが、そのほとんどが「縄文中期」約5000~4000年前のものです。
所沢市内に160ヶ所以上ある遺跡のうち、一番古い土器は「縄文時代前期末」6500年前~5000年前、十三菩提式土器で西関東から中部地方に見られますが、絶対量が少ない土器だそうです。
一番古い土器「縄文時代前期末」(所沢市埋蔵文化財調査センター)
【縄文時代はいつごろ?】
縄文時代は、約1万3000年前から約2300年前、約1万年間続いた時代です。これほど永い期間、一つの時代が続いた歴史は世界にはないそうです!
今から約1万3000年前、最後の氷河期が終わり、温暖な気候になり、日本列島は大陸と陸続きになっていたが、氷が解けて海面が上昇したため、現在の日本列島が誕生したのです。
温暖な気候によって落葉広葉樹の森が広がり、人々に植物や動物など豊富な食料を恵んでくれた。そのころ、日本で土器が発明され、人々の暮らしに大きな変化をもたらした。食物の煮炊きができるようになり、どんぐりや木の実のアクをぬくようになりました。また、弓矢など狩猟の道具も発明され、こうした技術革新があって、人々の暮らしは安定し、竪穴住居を作って集落を営み定住するようになりました。
所沢市埋蔵文化財調査センター1階展示スペース
【所沢市の縄文時代の人口】
縄文時代、日本には何人ぐらいの人が暮らしていたのでしょうかね?
正確な人数は分かりませんが、縄文早期の2万人、前期10万5千人、中期の最盛期の26万人まで順調に増加したが、次第に減少し、後期は16万人、晩期は7万6千人まで減少し、まもなく迎えたのが弥生時代です。
原因は、気候変動で気温が下がり、ナラ、クルミ、トチの実など落葉樹林の生産力が落ち、貴重な食料が減少したことにより、食料の供給量に合わせるように、人口を減少させる原因になったようです。
さて、現在所沢市の人口は約34万人ですが、では、縄文時代には所沢市内には何人くらい住んでいたのでしょうか?
未調査の部分もありますが、一家族の人数を3~4人とすると、最も多い中期で649軒、約2000人になりますが、未調査の部分を加えても同時期に暮らしていたのは10~20軒で30~80人位だそうです。
【所沢市内の縄文時代の遺跡】
縄文時代は、土器の特徴から「草創期」・ 「早期」 ・ 「前期」 ・ 「中期」 ・ 「後期」 ・ 「晩期」の6期に区分されます。
市内の縄文時代のムラ(集落)が発掘された代表的な遺跡は、水量の豊富な柳瀬川や東川流域、そして沼地や湧き水の多い狭山丘陵周辺に住む場所に造られました。
【縄文時代 草創期】 1万3000~9500年前
草創期の遺構・遺物は所沢市内からは発見されていないようです。
【縄文時代 早期】 9500~6500年前
市内には縄文時代の痕跡が確認できるのは、早期前半の土器にみられる文様からです。この時期は縄文文化の骨格が形成される段階で、小規模ながら市内から「山下後遺跡」、「海谷遺跡」から居住跡が確認されています。
縄文時代 早期後半、当時の住居は中に炉を作ることは少なく、炉穴(ろけつ)と呼ばれる調理施設の屋外炉が作られる。所沢市内では、「東内手遺跡」「南山遺跡」「武蔵野遺跡」「本郷東上遺跡」など、10遺跡が確認されています。
収蔵庫内
【縄文時代 前期】 6500年前~5000年前
縄文文化の成熟期に入ると、温暖化による海進は最盛期を迎え、居住数は増え、墓地のある集落が作られる。
所沢市内では約6000年前の黒浜式期の長方形大型居住跡を、「城遺跡」、「西上遺跡」で計4軒検出する程度であったが、「海谷遺跡」の調査で関山式期の居住跡72軒が確認されています。
※「黒浜式期」「関山式期とは、主に東地方の縄文前期(約6000年前)の土器形式名である。
【縄文時代 中期】 5000年前~4000年前
中期半ばから後半にかけては、成熟期の中で最も安定した時期と言えます。居住数は爆発的に増え、大規模集落がいちじるしく増えた。土器には、深鉢・ 浅鉢 ・ 有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき) ・ 吊り手土器 ・ 器台など種類が増える。
所沢でも、丘陵から周辺台地部では、高峰遺跡(46軒)・ 膳棚遺跡(62軒)・ 海谷遺跡(142軒)・ 畔の前遺跡(33軒)・山下後遺跡(28軒)・ 境窪遺跡(17軒)、また台地部では柳瀬川流域の和田遺跡(86軒)・ 西上遺跡(50軒)、東川流域の東原遺跡(54軒)を検出してます。
※所沢の遺跡の軒数は平成18年3月時点の資料。
【縄文時代 後期】 4000年前~3000年前
縄文後期に入ると気温は再び寒冷化に向かい、東日本全体で集落の規模は小さくなる。
所沢市内では「畔の前遺跡」から後期堀之内式期の住居跡1軒が検出されたに過ぎない。これは、寒冷化と海退という環境の悪化が原因と考えられる。
しかし、狭山丘陵の南東域、水場を利用した低湿気遺跡である下宅部(しもやけべ)遺跡(東村山、八国山=トトロの森)からは、木製品・漆製品・繊維製品・川魚の捕獲、トチの実のアク抜きなどが発見された。
「八国山たいけんの里」では、縄文後期、晩期3000年前~2300年前の生業活動の貴重な資料が見学できます。
※赤色漆塗り注口土器(縄文時代後期)
※漆塗り弓(縄文時代後期)
※漆塗りヘアピン(縄文時代後期) 上4枚の写真は東村山ふるさと歴史館の許可を得ています。
縄文時代後期、現在トトロの森「狭山丘陵」の「下宅部遺跡はっけんのもり」として保存されているそうです。
所沢市埋蔵文化財調査センターでは旧石器時代の石器や縄文式土器などを見ることができます。石器や土器に興味がある方にお勧めの場所です。なお、収蔵庫見学は職員の同行で見ることができます。
■所沢市埋蔵文化財調査センター
住所:〒359-1152 埼玉県所沢市北野2-12-1
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開館時間:月火水木金 8:30~17:00
■八国山たいけんの里
住所:東村山市野口町3丁目48番地1 電話:042-390-2161
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開館時間:水木金土日 午前9時30分から午後5時
参考文献:所沢市史(原始・古代史)・ ぼくらの祖先 ・ ところざわ歴史物語 ・ 縄文のムラ ・ つくられた縄文時代