所沢の民話 『三つ井戸』
みなさんこんにちは「所沢なび」ボランティアライターの“ぶん”です。
皆さん、所沢に民話があることはご存知ですか?
図書館から借りてきた『ところざわふるさと散歩』にありました。
昔、所沢という所は、水の不便なことで有名なところでした。
とくに夏になると、ほとんどの井戸の水がかれてしまうのです。
水汲みがあまりに大変なので、「所沢へは娘を嫁にやるな」とも言われていました。
そんな所沢には「弘法大師の三つ井戸」と呼ばれる話が伝わっています。
所沢の民話 『三つ井戸』 をお楽しみください。
むかし、所沢が、まだ小さな村だったときのことです。
村の西の方(宮本町付近)の百姓家に、気立ての優しい一人娘がいました。
真夏のある日のこと、父も母も畑に行、娘は一人で、土間で藁(わら)仕事をしていました。
昼さがりの、暑いさかりのときでした。一人の坊さんが、戸口の前に立ちました。
「まあ、この暑いなかを、ご苦労さまです。今すぐに、お米を。」
娘は、※托鉢(たくはつ)の坊さんだと思い、台所の方に行こうとしました。
すると、戸口の坊さんは、手を振ってとめながらいいました。
※托鉢(たくはつ)とは、僧が修行のため、鉢(はち)を持って、家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ること。
「娘さん、私は托鉢でお寄りしたのではありません。修行のため諸国を回っている旅僧ですが、この暑さですので、のどが渇いて大変困っているので、どうか水を一杯いただきたいのですが」
と、いわれてみると、なるほど、時々回ってくる托鉢のお坊さんとは違って、なんとなく気高さを感じられる衣姿でした。
「あら、どうも失礼しました。では、いそいで冷たい水を汲んで来ますから、中に入って休んでいて下さい」
「いや、冷たい水でなくとも。」
「いえ、どうせ、汲みに行こうと思っていたのですから。さ、どうぞ!」
遠慮している坊さんを、台所の上がり端にかけさせてから、娘は手桶を持って外に出ました。
が、それにしても、井戸まではかなりの距離です。
水を汲んで帰るまでには、長い時間がかかりました。
「どうも、お待たせしました。さあ、たくさんおあがり下さい!」
娘は、手桶の水を大きな茶わんに移して、差し出しました。
「これは、これは。では、いただきます。」
坊さんは、さも美味しいそうに、ごくりごくりと喉をならしならして、一気に飲みほして、
「ああ、おかげさまで、生き返らせてもらいました。ときに、娘さん。ご馳走になりながら、失礼なことをお聞きしますが、井戸まではだいぶ遠いようでしたな?」
と、茶わんを返しながら言いました。
「はい。かなり離れております。なにしろ、この所沢という所は、水の不便ことで有名なところですので・・・。とくに夏になると、ほとんどの井戸の水がかれてしまうのです。」
「そうですか。いや、毎日使う水が、そんな不便では、さぞお困りのことでしょうな。」
「はい。そんなところから、近くの村や部落の人は、『所沢にだけは、娘を嫁にやれない』などといっているそうです。水汲みで苦労をする、ということからです。」
「ほう、それほどまでに。」
娘の言葉に、小さくうなずいた坊さんは、目をつぶって、じいっと考えこみました。が、やがて、静かに立ち上がりました。
「娘さん。わたしの後について来なさい。なんとか力になってあげましょう。」
「え??」
娘さんは、不思議に思いながらも、坊さんのあとについて外に出ました。
と、坊さんは、道の方へではなく、うらの野原の方へ歩き出しました。
しかも、なにか落とし物でも捜すときのように、下を見ながら、ゆっくりと歩いて行きます。
娘は、首をかしげながらも、ついていきました。
と、やがて立ち止まった坊さんは、持っていた杖で、こつこつと地面をたたきました。
それから腰をかがめて、顔を地面に近づけると、小さな声で経文を唱えだしました。
が、その姿は、まるで地下の人を呼び出して、話し合ってでもいるかのように見えるのでした。
娘は、幾度も、首をかしげました。
いや、なんだか夢でも見ているような気がして、思わず目をこすりました。
経文が終わって、坊さんは、静かに立ち上がりました。そして、言いました。
「娘さん。この場所をわすれないように、何かしるしを付けておきなさい。」
「は、はい。」
娘は、わけのわからないまま、ともかく、そばに生えている木の小枝を折って、その場にさしました。
「いいでしょう。では、次の場所を。」
と、また歩き出した坊さんは、二十歩ほど行くと、前と同じように地面をたたき、経文を唱えてから、そこにもしるしを付けさせました。
「さて、もう一か所は・・・?」
と、今度は三十歩ほど歩いてから、やっぱり同じようなことをして、そこにもしるしを付けさせました。
そして坊さんは、また言いました。
「娘さん。今しるしを付けた三つの場所は、井戸を掘る場所です。
ここなら、浅くてもよい水が出るでしょう。
しかも、その水は夏になってもかれることはないでしょう。
近所の人たちに話して、力を合わせて掘ってみて下さい。
では、わたしは、このへんでおいとましましょう。」
「は、はい。でも・・・。」
不思議のあまり、ただおどおどするばかりの娘を残して、坊さんは、とぼとぼと道の方へ歩き去りました。
さて、この夜のこと
娘の話を聞いた親たちも、近所の人びとも、初めのうちは、ただ笑っているだけでした。
が、しかし、そのうち、娘のあまりの真剣さに心をひかれて・・・というより、水には毎日苦しめられているのです。
もしかすると・・・という気持ちになってきて、ともかく掘ってみようということに、意見がまとまりました。
さて、ある日です。
三組に分かれの、にぎやかな井戸掘りが始まりました。
すると、不思議でした。
たった二メートルほど掘っただけで、もう水がわいて出てきたのです。
「あっ、水だ!どんどん出てくるぞ!」
「こっちもだ!どんどん出てくるぞ!」
大変な騒ぎになって、この不思議な「三つ井戸」のうわさは、たちまち遠くの町や村にまで広がっていきました。
すると、そのあとしばらくたってから、誰かの口からともなく、あのときの坊さんは「弘法大師」であったことが分かりました。
「そうか、弘法さまだったのか!!」
ありがたい水を授かっていただいた地元の人びとは、この恩を忘れないようにと、井戸のそばに「弘法大師」を祭るお堂を建てました。
・・・おしまい
『三つ井戸』の場所は金山町交差点近くの東川に架かる橋のたもとにあります。
「三つ井戸」から50メートル先には「弘法大師」のお堂がありました。
お堂のなかには「弘法大師」のお地蔵さま
現在『三つ井戸』の古い井戸は網で囲まれています。
そして毎年八月二十日、二十一日にはにぎやかにお祭りが行われているそうです。
みなさんぜひ行ってみてください。
参考資料、挿絵:ところざわふるさと散歩