荒幡の富士を世間に広めた人物とは?~その名は「 よさこい節 」 にも登場する名所に由来〜



▲荒幡の富士周辺
初めて訪れた場所でふるさとの偉人の名前をみかけると、不思議な感じになることってありませんか? 所沢市にある人工の富士山、「荒幡の富士」のふもとに建てられている「荒幡新富士築山の碑」に、出身地である高知県の文人の名があることについて、調べました 。

2020年6月30日取材 カケミズ

  

荒幡の富士を世に広めたのは酒と旅を愛した高知出身の文人、大町桂月


▲荒幡新富士築山の碑
  

▲文章を書いたのは大町桂月(おおまちけいげつ)
  
碑文には、荒幡の富士の築造の経緯とその姿を称賛する文章が書かれています。1921(大正10)年に、この文章を書いたのは大町桂月。彼は、終生酒と旅を愛し、「酒仙鉄脚の旅人」と称された紀行作家です。
  
「桂月」という雅号は、高知の「よさこい節 」でも歌われている月の名所桂浜(かつらはま)に因み、高知市の桂浜には「桂月先生記念碑 」が建てられています。

▲月の名所桂浜(2019年1月撮影)私も高知に住んでいた時は寄せては返す波音を聴きながらの観月会を毎年楽しみにしていたものです
  
荒幡の富士を何度も訪れた大町桂月による紀行文「狭山紀行」によって、荒幡の富士の存在は世に広まることになりました。
  
「狭山紀行 」にこんな文章があります。「明治四十年(※1907年)六月二十五日、降りそうにて、降らず。脳の心地悪し。」。そんな日の午後、桂月は荒幡の富士を目指して出かけます。
  
「脳の心地悪し」の表現はきっと高知県の方言である土佐弁を知っている人なら「オヤ?…モシカシテ??」と思うはず。土佐弁で「具合が悪い 」 とか「気分が悪い 」とか「調子が悪い 」などの微妙なニュアンスを表現する時に便利に使われる言葉に「のうが悪い」という言い回しがありまして…。そちらと関係しているのではないかなあ、なんて…。
 
地は、入間郡荒幡村に属す。荒幡の新富士とて、この辺りにては有名なれど、未(いま)だ都人に知られ居らざるは、惜しきこと也。」(「狭山紀行」より)
 
私が登った日は時々小雨が降りました。
桂月が「狭山紀行」で訪れている日も丁度こんな天気だったのかもしれません。
 

▲曇天でした
 

▲大町桂月が訪れていた当時はどんな眺めだったのでしょう

 

▲こういう景色ではなかったはず

 
桂月は「狭山紀行」でこんな句をしたためています。
八洲の空に一つ雲雀(ひばり)哉
 

▲お!あれに見えるは
 

▲ホオジロ。力強い鳴き声がひびきわたっていました
(所沢で見られる野鳥についての記事はこちら

この日はウグイスやガビチョウの鳴き声も聴こえていましたよ。
 
 

いつかどこかで「桂月」と遭遇するかも?

2013年、航空自衛隊入間基地も撮影地のひとつになった『空飛ぶ広報室』という テレビドラマがありました。

原作の小説を書いた有川ひろ(当時「有川浩」)も高知県出身なのですが…。彼女の書いた『阪急電車』という小説に、大町桂月の名を由来とする「桂月」という名前のお酒が登場します。

このお酒は実際にありまして、銘酒桂月が造られている土佐酒造株式会社の酒蔵には、「桂月館」という大町桂月の資料館が併設されています。入館料の代わりは銘酒桂月のカップ酒(笑)。

(「桂月館」HPはこちら。「オンラインギャラリー」もありますよ。)
 
土佐酒造株式会社の代表取締役である松本さんにこんな話を聞きました。
 
コロナ禍で出張の予定がキャンセル続きになり、これを機に、まだ行ったことのなかった四国の山中の小売店に寄ってみたところ、「近くに国宝のお堂があるので是非寄ってみてください。」と言われたそうです。
 
写真を送っていただいたので、少し旅行気分を味わってみてください。
 
狭い山路をのぼってみたら…
 

▲見えてきました(写真提供:土佐酒造株式会社 松本宗己氏)
 

▲なんとこちらの「豊楽寺(ぶらくじ)薬師堂」は四国最古の建造物なのだそうで…(写真提供:土佐酒造株式会社 松本宗己氏)
 
松本さんは地域のことをいかに知らないことかと実感したそうです 。
実は四国に40年以上住んでいた私もこの建物の存在を知らなかったので、同感です 。
 
更に…
 

▲松本さんが偶然、説明の看板に目をやると(写真提供:土佐酒造株式会社 松本宗己氏)
 

▲「千年の鐘の音する青葉かな」という大町桂月の句が!!(写真提供:土佐酒造株式会社 松本宗己氏)
 
彼もこの山を登ったのか…と感心されたそうです。
当時の交通の状況や、靴などの登山装備は一体どのようなものだったのでしょう。さすが「酒仙鉄脚の旅人」…。
 
私はと言えば…先日所沢ゆかりの歌人三ケ島葭子の評伝『歌ひつくさばゆるされむかも  歌人三ケ島葭子の生涯』(秋山佐和子著)を読んだ時に、書籍の中でもお名前をお見掛けしました。
 
これからもきっと、意外な場所、何かの名前、映画や本の中などに…、所沢の荒幡の富士を世間に広めた高知出身の文人、大町桂月の名前と出くわすに違いなく、それを楽しみにしています。
 
この記事を作るにあたってひとかたならぬご協力をいただきました土佐酒造株式会社 代表取締役 松本宗己さんからこんなメッセージと素敵な動画を送っていただきました。

お酒の名前に「桂月」と付けたのは私の曽祖父ですが、日本各地を旅した大町桂月のように、造ったお酒が各地へ旅立って、色々な人に楽しんで貰いたいと願ったのかもしれません。
高知から遠く離れた所沢でも、日本酒「桂月」がいつかどこかで偶然皆様と遭遇する日がありますように。
コロナで遠く離れた世界へ行くことは暫くお休みですが、 身近なところにも、まだまだ知らない世界があるもの。
所沢なびの読者の皆様が、地域の魅力を再発見して、楽しい日々を過ごされますように。

日本酒「桂月」故郷の景色

松本様 ご協力いただき本当にありがとうございました。

大町桂月~酒と旅を愛した文人~
1869年(明治2年)、高知市北門筋に生まれる。本名は芳衛。雅号の桂浜月下漁郎は、月の名所桂浜に因む。東京帝国大学国文科卒業後、「文芸倶楽部」「太陽」「中學世界」等に随筆を書き美文家として知られる。和漢混在の独特な美文の紀行文で知られ、終生酒と旅を愛し、酒仙鉄脚の旅人と称される。北海道の層雲峡や羽衣の滝の名付け親でもあり、その功績を称えて、大雪山系には桂月岳という名の山まである。青森県の十和田湖と奥入瀬を殊に愛し、晩年は同地の蔦温泉に居する。1925年(大正14年)6月10日没。(桂月館HPより)

 

参考資料

●『所沢市史 文化財・植物』所沢市史編さん委員会/編 「69.荒幡の富士」P.194、P.195
(所沢市立図書館のレファレンスサービスで内容を確認できました。図書館のレファレンスに関する記事はこちら

●紀行文「狭山紀行」 監修 大町 芳章

●埼玉県にある記念碑 「所沢市 荒幡浅間神社」 監修 大町 芳章

●『歌ひつくさばゆるされむかも 歌人三ケ島葭子の生涯』秋山佐和子(TBSブリタニカ)
(所沢ゆかりの歌人三ヶ島葭子に関する記事はこちら

●『阪急電車』有川 ひろ(※出版当時の表記は有川 浩)(幻冬舎)

 

 
荒幡の富士
所沢市荒幡748番地
所沢市ホームページ 「荒幡の富士」はこちら
 

大きな地図で見る
 

豊楽寺薬師堂
高知県長岡郡大豊町寺内(ながおかぐんおおとよちょうてらうち)314

大きな地図で見る


この記事を書いた人

アバター画像

カケミヅ Kakemidu

高知で生まれ育って2018年に埼玉に引っ越してきました。所沢なびライターとしてふるさとの文化についてご紹介できるようになれればと思っています。趣味はiPadでイラストを描くことです。

応援メッセージ大募集!

※採用されたメッセージを掲載いたします。
※ご質問やご要望などは「お問合せフォーム」からお願いします。
お問い合わせフォームにお寄せいただいたご質問は、1週間以内にご返信させていただきます。

過去の記事へ
現在2420本無料公開中