明治時代へタイムスリップ?


みなさんこんにちは「所沢なび」ボランティアライター”ぶん”です。

 

今回は明治時代へタイムスリップして「野老澤雛物語」のルーツを探しにやって来ました。
野老澤町造商店(通称まちぞう)入り口には、先日紹介した埼玉県伝統工芸士、秋月小寺様の雛人形が飾られていた。

 

埼玉県伝統工芸士について➡記事を読む

 

そして、正面奥には古いひな人形が飾られ、タイムスリップして、江戸時代に居るような錯覚にとらわれ、歴史を肌で感じるようであった。

野老澤町造商店 江戸後期から平成までのお雛様展示場

 

ところで、雛祭りは昔から三月三日に行われていたように思うかも知れないが、三月三日に催されるようになったのは江戸時代のことなのです。
そこで、起源に触れてみよう。
参考資料は「日本人形のあゆみ」「日本人形史」

 

「ひな祭りの起源」

古代中国の風習に、上巳(じょうし)と言われる厄除の行事が行われた。
旧暦3月最初の巳(み)の日に、人々は水辺にて、自分にかかわる災難、身の穢れを木切れに託して流すという祭りがあったそうだ。

 

この日はまた、古来よりの伝承で悪霊避けに効果があるとされる桃より作る酒を飲んだそうである。
この風習は、700年代には、日本にも伝えられた。
「万葉集」にも、大伴家持が詠んだ歌が残っている。
『漢人(からひと)も栰(ふね)を浮かべて遊ぶとふ今日そわが背子花鬘(かづら)せな』
「万葉集」巻十九 750年3月3日

 

古典文学にみる「ひな」の二文字

「ひな」の二文字を、平安中期の古典文学「紫式部日記」でみることができる。
平安中期、11世紀初頭には、雛は貴族階級に定着していたと言えよう。

 

『紫式部日記』より
「若宮の御まかなひは大納言の君、ひがしにによりてまゐりすゑたり。小さき御台御皿ども、御箸の台、洲浜なども、”ひひな遊び”の具とみゆる。・・・・・」
寛弘五年(1008年)11月の日記である。

 

-そして「江戸時代の雛人形」を読み取ってみると

1600年(江戸時代)頃より雛人形は定着した事が、いくつかの文献より読み取れる。
大正時代の歴史学者、桜井秀氏の「西洞院時慶郷記」という江戸初期の文献引用に寛永六年、三月四日の宮中日記に

 

「・ ・ ・ ・昨日宮中にて”雛”の樽台等にて酒有・ ・ ・ ・」
1629年には宮中にて、今日に近い形で雛祭りが行われたことになる。

 

一方、一般庶民の中に雛祭りという風習が浸透したのは、1600年代後半の江戸中期以降である。
今日のような雛祭りは江戸時代初期の寛永6年(1629年)、京都御所でひな祭が催され、これ以後、幕府の大奥でもひな祭を行うようになり、やがてこの習慣は上流から町民へ大きく広がっていったのです。

 


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ぶん Bun

2016年10月“所沢なび”ボランティアライターとして生まれたボクの名前は「ぶん」! 仕事は、所沢を中心に身近にある自然やおいしいもの、楽しいものを見つけみんなに知ってもらうこと。 魅力いっぱいの「所沢なび」これからもよろしくね。

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